おいしいうなぎが食べたい。食べ放題に食べたい。かつて、私の家の近所にはうまいうなぎ屋が一軒あった。といって、私はそこを特別にうまいと思っていたわけではない。うなぎとはどこで食べても、この程度にうまいものだと思っていたのだ。しかし、不況に打ち勝てなかったのか、数年前に、そこは店を閉めてしまった。それ以来私は、うまいうなぎが食べられないという事実によって、いかにその店が特別であったかを思い知らされたのだ。
いったい、私は何件くらいの店を回っただろうか。ところが、どこへ行っても駄目なのだ。ある店は骨が気になるほど残っていたり、そうでない場合もタレなのか焼きなのか、あるいはうなぎそのものなのか、うま味がまるで違う。職人気質であるようでありながら、愛想もさほど悪くはなかったオヤジの顔とともに、あの味が思い出される。すると、私の喉は渇いてくる。この渇きをいやせるのはあの味しかないのだ。あれを思いっきり咀嚼して、飲みくだしたい。
ここまでいえば、なぜ私がうなぎを食べ放題に食べたいか理解してもらえるだろう。あるいは、人はこう言うかもしれない。それは失われたものの通例で、記憶の中で美化されていて、だからもし、いま現実に食べることが出来たとしても、思ったほどの感動はないだろう、と。しかし、そんなことは私には到底信じることができない。そこで私は今日も、記憶の中のこの味を食べ放題することを夢見て、うなぎ屋に足を運び、そうして空しく店を出る。